原阿佐緒年譜 原阿佐緒の歩み

明治21年(1才)
6月1日、黒川郡宮床村(現在の大和町宮床)に生まれる。
明治34年(14才)
4月、宮城県立高等女学校(現・県立第一女子高等学校)に入学。
明治37年(17才)
3月、母と共に上京、日本女子美術学校日本画科に入学。
同校英語教師小原要逸と知り合う。
明治40年(20才)
4月、仙台において「東北文芸」創刊され参加する。
12月25日千秋誕生。
明治41年(21才)
4月、小原要逸、長男千秋、母しげと共に帰郷。
小原とは間もなく離別。
明治42年(22才)
4月、宮城女学校絵画教師となる。
大正2年(26才)
1月、「青鞜」に歌を発表。三月、「アララギ」に入会する。
5月、処女歌集「涙痕」出版。
大正3年(27才)
2月、洋画家庄子勇氏と結婚する。
大正4年(28才)
1月28日、次男保美誕生。
大正5年(29才)
11月、第二歌集「白木槿」出版。
大正6年(30才)
2月、再び上京、大病を患い帰郷。12月石原純と知り合う。
島木赤彦に師事。
大正10年(34才)
10月、第三歌集「死を見つめて」を出版。
大正11年(35才)
5月、保田海岸に「靉日荘」完成し石原純と移り住む。
昭和3年(41才)
10月、第四歌集「うす雲」を出版。
昭和20年(58才)
扇畑利枝宮床の生家にはじめて阿佐緒を訪ねる。
昭和27年(65才)
仙台市「小梅林」にて「原阿佐緒を囲む会」を開く。
昭和36年(74才)
6月2日、仙台市大年寺山に第一歌碑の除幕式挙行。
7月30日、宮床の生家に第二歌碑の除幕式を挙行。阿佐緒出席。
昭和40年(82才)
2月21日、午後8時10分死去。死因 心不全。
昭和63年(没後23年)
10月25日、七ッ森湖畔に第3歌碑の除幕式を挙行。
平成2年(没後25年)
6月1日、生家を保存整備改修して原阿佐緒記念館として開館

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