歌集(初版本)

うす雲

第四歌集「うす雲」表紙

第四歌集「うす雲」 昭和三年刊行

純との恋愛問題が新聞に報道され、千葉県の保田「靉日荘」に二人で住む。三ヶ島千樫の死、純との愛破局。ついに無断で宮床に帰る。 さまざまの起状はあったが、ようやく近年、阿佐緒の作品の評価のきざしも見え、現に大岡信氏が朝日新聞の「折々のうた」に引用した一首に

吾がために 死なむと言ひし男らの みなながらへぬ おもしろきかな

があり、信氏は「明星」から「アララギ」に転じて女流の花形の一人となる。しかしのちに破門され、名ある歌人たちとの悲愛、自殺未遂、結婚、離婚など激しい人生を生きた。自らの意欲で生きようとする時、障害が群がり寄せた時代の女の悲しみそれが皮肉にも歌を生かした。

歌集

阿佐緒抒情歌集 昭和四年発刊

「狼狽」から「うす雲」までの全歌集より阿佐緒自身が選出した歌七三〇首を収録。出版に際し、山田耕作が「かなしくもさやかに恋とならぬ間に捨てなんとさへ惑ひぬかな」に譜曲。

白木槿

第二歌集「白木槿」写真

第二歌集「白木槿」 大正五年刊行

第二歌集「白木槿」前半には「明星」の影響が残っているが、「アララギ」に入会、斉藤茂吉、島木赤彦の直接指導を受けてから次第に写実的な詠風に移行してゆき、歌柄がしまってゆく。このころ古泉千樫との恋が生まれ、家庭的には第二の夫庄子勇と結婚、そして二男保美を出産する。 「白木槿」への評価は山田邦子(のち今井邦子)の「女流として、いかにも優しい、一筋な心持が流れている」(大正六年十二月号「短歌雑誌」)、前田夕暮の「女優特有の香気と一種の粘着力とをもっている」(大正六年十月号「文章世界」)、また若山牧水の「明るい、きれいな歌である。ものかげからひそかにものを見るようなつつましさも見えて可懐かしいが、全体から受ける力が、どうしたことか強くない」(同「文章世界」)といろいろの評価がなされているが、この歌集によって阿佐緒の歌人としての名が定着してゆく。

涙痕(文庫本)

涙痕(文庫本)表紙

涙痕(初版本)

涙痕(初版本)表紙

第一歌集「涙痕」 大正二年刊行

阿佐緒二十代の作品で、小原要逸への激しい感情を表現して、思春期への決別をはかっている。 「泣く」「涙」「かなし」「さみし」「死」などの主観語が多く指摘されるが、自らをいつわらない素朴さは共感をよぶ。 当時の歌壇の声は神井洸(大正二年六月号「心の花」)古泉千樫(大正元年八月号「アララギ」)、柏木松雄(大正二年九月号「スバル」)いずれもその表現の自由さと性情の純粋さを挙げている。

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